◆いわて三陸普代村村勢要覧 「ふだい村がいちばん。」  (PDF版)

いわて三陸普代村村勢要覧 表紙

◆ふだいのあらまし

沿 革 

 本村には縄文の昔から人が住んでいたことは、村内の遺跡により確認されている。平安の初めには卯子酉神社(現在の鵜鳥神社)の建立の記録があり、中世においては永正5(1508)年、馬焼印図の中に「閉伊(北方)ふたい」の記録があり、天正18(1590)年に南部信直の統治下となった。正保元(1644)年、正保図絵図には「譜代」とか「譜代崎」が見えていることから、普代の存在を知ることができる。天保4(1647)年の普代村の石高は畑157.8石であったことが知られ、承応3(1654)年「普代村」の藤島家古文書ではより明確な普代村の記述となっている。
 その後、南部領の統治下となり、野田代官所の支配を受け、明治維新を迎え、北閉伊郡沼袋戸長役場に属し、明治4(1871)年から下閉伊郡普代村となっている。

位 置

 普代村は岩手県北部海岸に位置し、下閉伊郡の最北端にあり、東方一帯は太平洋に面し、南は田野畑村、北は九戸郡野田村、西は岩泉町に界している。

自 然

 太平洋に臨む沿岸地区は、標高約150mの海岸段丘が連なり、わが国随一の景観、陸中海岸国立公園の黒崎・北山崎控え、この公園を代表する豪壮雄大な断崖絶壁が連続し、絶景の一語に尽きる男性的な自然美をなしている。
 また、黒埼灯台の設置されている黒崎沖は、三陸漁場の心臓部ともいわれ、資源の豊富な漁場として知られている。
 山間部は、北上山系が連なり、本村をはじめ「山の幸」も豊富で、特に山間部一帯の地下資源、大理石、石灰岩、マンガンの埋蔵量は無尽蔵といわれている。

産 業

 本村の産業は、第一次産業の漁業・水産養殖業が大部分を占めている。
 しかし、昭和47年10月の国道45号全線開通、昭和59年4月の三陸鉄道北リアス線の開通とともに総合的な開発を進めてきた。
 また、山間地を利用した自然休養村整備事業、農地開発事業、海のだいご味を満喫できる施設の整備など、観光産業にも力を注いでいる。

庁舎の位置

 岩手県下閉伊郡普代村第9地割字銅屋13番地2
 東経141°5′49″  北緯40°00′09″

普代村の位置及び人口等

 東経 141°47′49″~141°57′08″
 北緯 39°57′31″~40°03′10″
 東西 8,953m
 南北 12,487m
 面積 69.69k㎡
 世帯数 1,042世帯 (22年国勢調査)
 人 口 3,088人 (22年国勢調査)
 人口密度 44人/k㎡ (22年国勢調査)

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