義経伝説残る鵜鳥神社。
本殿まで30分~40分のミニトレッキングを楽しんだらいろいろ遊べる「緑の村」へ。
鵜鳥神社例大祭
鵜鳥神社は平安時代の初めに開山。後に源義経によって建てられたと言われている。旧暦の4月8日(5月中旬)に行われる鵜鳥神社例大祭には沿岸各地から多くの参詣客が訪れる。神楽殿では鵜鳥神楽も奉納される。
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普代村の中心部から西へ車で7〜8分。緑あふれる卯子酉山(うねとりやま)へと向かいます。三陸沿岸各地に伝承される義経北行伝説では、平泉をひそかに抜け出し蝦夷地を目指した義経は、建久2年(1190年)この地にたどり着きます。その際、子育てをしている金色の鵜を見つけた義経は、その鵜こそが神鳥であると思い、鵜鳥神社(うのとりじんじゃ)で海上安全と武運長久を祈りました。すると「汝の願いを聞きとどけよう」と神様のお告げがあり、義経は感謝して山頂に鵜鳥大明神を祀ったといいます。地元では「うねどり様」と呼ばれるこの神社は、大漁満作、海上安全、縁結び、安産の神様として古くから信仰を集め、遠方からも多くの参詣客が訪れます。山麓の遥拝殿(ようはいでん)から山頂の本殿までは徒歩で30~40分程度。例年旧暦の4月8日(5月中旬)に行われる例大祭では、多くの参詣客がその頂を目指しますが、普段は鳥のさえずり響く静かな山。ちょっとしたハイキング気分を味わうことができます。
奥宮近くの参道
卯子酉山展望台を過ぎると道はほぼ平坦に。赤松と広葉樹の混合林帯を歩く。
神道橋
本殿への参道を歩き始めて程なく現れる神道橋。
本殿(奥宮)への参道は遥拝殿横の階段からスタートします。杉が鬱蒼と茂る山道を5分ほど歩くと「神道橋」へ。この先さらに斜度を増す参道沿いには、心身を清める「うがい場」、どんな眼病でも治るとされる霊水湧く「薬師様」、紙縒り(こより)で願い事を占う「お縒り場(およりば)」、さらには天を覆う樹齢500年を超える「夫婦杉」などが次々と現れ、一帯は荘厳で霊験あらたかな佇まいにつつまれます。
うがい場
神道橋脇にある「うがい場」。ここで清めてから本殿へと向かいます。※画像クリックで拡大
お薬師様
杉の根元から湧き出る水で目を洗うと、眼病が治るという言い伝えがあります。※画像クリックで拡大
夫婦杉
参道途中にある夫婦杉。樹齢500年以上とされ普代沖の太平洋上からも見ることができる。
お縒り場(およりば)
占い場。紙縒りを作り池に投じ、沈めば願いがかない、水面に浮かべば願いかなわずといわれる。
参道をさらに登ると嘉永2年(1849年)に作られた階段が現れます。この辺からは斜度も緩やかになり、133段の階段を登り切ると卯子酉山展望台があります。参道から踏み跡に沿ってピークに登ると、そこは360度の大パノラマ広がるビューポイント。太平洋から黒崎、野田村の十府ケ浦(とふがうら)・和佐羅比山(わさらびやま)、さらには北上高地の山々と胸のすく雄大な眺めを堪能できます。
ここまで来ると本殿へはもうすぐ。スタートして30~40分で目指す本殿に到着します。
願い事を祈願したら祠の裏へ。実はこの先にも100メートル ほど続く道があり、峰の突端に「お岬様(おさきさま)」と呼ばれる石の祠が立っています。ここからの眺めもまた格別で、普代村の北部から野田村、太平洋を一望できます。
嘉永年間建設の石段
嘉永2年(1849年)に建築された133段ある石段。近年手すりが取り付けられました。
卯子酉山展望台
本殿への参道途中にある展望地。360度の大パノラマを楽しむことができます
本殿(奥宮)
遥拝殿から続く参道を登ること約30分。標高424mの卯子酉山山頂にあります。寛政4年(1792)と明治35年(1902)に火災に遭い、神殿は明治45年(1912)に、拝殿は昭和8年(1933)に新築されました。
お岬様
本殿の裏からさらに100m ほど歩くと山の突端にお岬様と呼ばれる石の祠があります。
お岬様から野田方面の眺望
お岬様からは普代村の北部から太平洋、野田村方面を望むことができます。
鵜鳥神社のすぐ近くには、家族連れやスポ少、子供会活動の場としてピッタリの自然休養村「緑の村」があります。自然休養村という名前が示すように村内は大自然の宝庫。バードウオッチングや昆虫観察のほか、各種スポーツ・レジャーを楽しむことができます。
緑の村・多目的広場
広さ14500平方メートル、フィールドアスレチック施設もある芝敷の多目的グランド。夜間照明もある。
全面芝で覆われた多目的グランドは、サッカー、ソフトボール、運動会などの会場としてもピッタリ。しかも夜間照明付。さらには、全天候型テニスコートが2面にフィールドアスレチックもあります。このほか、ちょっとスリリングなローラー滑り台、平衡感覚が試されるマジックハウスなども人気。
鵜鳥神社アクセス